霊界物語第52巻第17章 飴屋
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https://youtu.be/KNWM3HD_lto
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オニドでフリガナ付きで読む。
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm5217
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霊界物語のこの当たりは文助という人が出てくる物語です。
その物語の間に、理論的な教え解説と言ってもよいものが挟まっています。
前の章は文助の話で、この章の最初に、「霊主体従とは、人間の内分が神に向つて開け、唯神を愛し、神を理解し、善徳を積み、真の智慧を輝かし、信の真徳に居り、外的の事物に些しも拘泥せざる状態を云ふのである。」というような文章が続きます。
そして、霊主体従、体主霊従の解説、中有界の八衢の説明などがあります。
そして、霊主体従、体主霊従の解説、中有界の八衢の説明などがあります。
そして、唐突に、「文助は漸くにして八衢の関所に着いた。白、赤二人の守衛に比較的叮嚀に導かれ、門の傍のロハ台の上に腰打かけ、息を休めて居た。半町ばかり手前に当つて騒がしい音が聞えて来た・・・・。」と物語に戻ります。
何で、こんな書き方をしてあるのか。
何か意図があるのでしょう。
何か意図があるのでしょう。
霊主体従、体主霊従の理論は当時の検閲にかかるような箇所では無いと思われます。
そうなると、読者の視線はこの理論に引き付けられ、文助の物語は意識の表層をすべってゆくだけになるのでは。
そうなると、読者の視線はこの理論に引き付けられ、文助の物語は意識の表層をすべってゆくだけになるのでは。
トンチントントン チンチントントン
チントン チントン チンチントン
飴の中からお多やんエ、お多やんが嫌なら金時だ
金時嫌なら達磨さま
兎でも餅つく、お猿でも
十五のお月さんの餅つきに
よう似た飴屋のお爺さんよ
金時嫌なら達磨さま
兎でも餅つく、お猿でも
十五のお月さんの餅つきに
よう似た飴屋のお爺さんよ
こりやこりや其処らの子供達
飴が欲しけりや幾何でもやらう
しかしお金と引きかへぢや
地獄の沙汰でも金次第
飴が欲しけりや幾何でもやらう
しかしお金と引きかへぢや
地獄の沙汰でも金次第
お金が無ければ甘い汁
どうしてもかうしても吸はりやせぬ
お母の乳よりお砂糖より
もつと甘いのは此飴ぢや
どうしてもかうしても吸はりやせぬ
お母の乳よりお砂糖より
もつと甘いのは此飴ぢや
あめが下には他人と云ふ事は
無いものぞやと三五教の
神様が云はしやつたけれど
何程あめの下ぢやとて
無いものぞやと三五教の
神様が云はしやつたけれど
何程あめの下ぢやとて
金が無ければ他人ぢやぞ
金が敵の世の中だ
このお爺さんが今打つ鉦は
ミロク三会の明けの鐘
金が敵の世の中だ
このお爺さんが今打つ鉦は
ミロク三会の明けの鐘
金の無い奴ア近寄るな
トンチントントン、チンチントントン
チントン、チントン、チンチントン
トンチントントン、チンチントントン
チントン、チントン、チンチントン
アメがいろいろな意味で使われています。
アメ=飴、アメ=天。
「あめ」が太字になってるところは、一つの意味は「天」で、「あめの下」=天下、世間くらいの意味でしょう。
しかし、太字で表しているのは、あめ=アメリカではないかと思います。
アメリカは話の中に出てきます。また、赤と白の守衛というのが出てきますが、これは日本の事でしょう。日本の警察(治安を担当している)か?
「そんな日の丸のやうな赤い顔をして睨んだ所が、此亜米利加屋さまはビクとも致しませぬわいな、ヤンキイモンキイ云はずに、黙言つて引込んで居なさい。」
「ミロク三会」が気になります。
王仁三郎の『水鏡』では次のように説明されています。
天のミロク、地のミロク、人のミロクと揃ふた時がミロク三会である。天からは大元霊たる主神が地に下り、地からは国祖国常立尊が地のミロクとして現はれ、人間は高い系統をもつて地上に肉体を現はし、至粋至純の霊魂を宿し、天のミロクと地のミロクの内流をうけて暗黒世界の光明となり、現、幽、神の三界を根本的に救済する暁、即ち日の出の御代、岩戸開きの聖代をさしてミロク三会の暁と云ふのである。
「ミロク三会」の鐘を鳴らすと飴屋が言っているので、これは権威を使って自分のやっていることを正当化するためのものでしょう。
さてさて、この歌が歌われたのが大正時代、でも、2019年の現代の方がこの歌に合っている時代ではないでしょうか。
アメリカおよびアメリカの手下の日本人から、日本の人は「飴の中からお多やんエ、お多やんが嫌なら金時だ、金時嫌なら達磨さま、兎でも餅つく、お猿でも」と手を変え品を変え洗脳されているのではないでしょうか。
大正時代には、まだ赤と白の守衛がいましたが、今は、そんなものはいるのでしょうか?