2019年12月15日

木花姫

霊界物語を読んでいると、神様の厳霊系統と瑞霊系統を意識しなければならない時があります。

大本信者ではない私は、教義を勉強したわけではないので、「正式な」この区分を知らずに過ごしてきました。
予言とかを読むには、あまり教義的なことはいらないからです。
しかし、このまま放っておくと分からないまま自分の一生を終えることになるかも知れないので、今回の通読の際には、検討しようと思っています。

戦前の宣教文書:『大本資料集成』より(改行 筆者)

第六章 厳霊瑞霊
 『天主一霊四魂を以て心を作り、之を活物に賦与す、地主三元八力を以て体を作り、之を万物に与ふ。故に其の霊を守るものは其の体、其の体を守るものは其の霊なり、他神有りて之を守るに非ず。是れ即ち上帝の命、永遠不易』とは道の大原の教ふるところにして、又大本の霊学観なり。
而して一霊とは直霊なり。四魂とは、荒魂、和魂、奇魂、幸魂なり。荒魂は真勇なり。和魂は真親なり。所謂経魂にして厳魂なれば、一々万々確固不易の霊能あり。奇魂は真智なり。幸魂は真愛なり。所謂緯魂にして瑞魂なり。操縦与奪自在の霊能あり。而して天下一般の活物、皆此の四魂を多少なりとも具備せざるは無し。
荒和二魂の活動完全なる霊魂を称して厳の魂と謂ひ、奇幸二魂の活動完全なる霊魂を称して瑞の魂と謂ふ。
而して直霊能く四魂を主宰し、完全なる活動を為さしむる場合を称して、伊都能売の霊魂と謂ふ。
大本祝詞に曰く『直霊魂をして益々光美はしき伊都能売霊魂と為さしめ玉へ』とあるは、各人四魂を研き、神に等しき活動を為すべき、伊都能売の御魂とならむ事を祈るに在り。然れば厳の御魂は教祖に限定し、瑞の御魂は教主輔に限定せるが如く思考するは、大なる誤解なり。各人皆進んで厳の魂、瑞の魂は愚か、伊都能売御魂の活用が出来る所まで、磨き上げて神業を補佐されむ事を希望する次第なり。

大本教のHPでの祭神には「大本は、天地万有を生成化育したもう霊力体の大元霊(だいげんれい)にまします独一真神(どくいつしんしん)をはじめ奉り、大地を修理固成したまえる祖神(そしん)厳霊(げんれい)国常立尊(くにとこたちのみこと)、瑞霊(ずいれい)豊雲野尊(とよくもぬのみこと)、そのほか正しい神々を大本皇大御神(おほもとすめおほみかみ)と仰ぎ、斎きまつります。」とありますので、上の引用文と、大本教に対する「常識」から考えると次のようになるのでは。

独一真神:天地万有を生成化育したもう霊力体の大元霊。
    天之御中主大神。
    大国常立尊。

厳霊:大地を修理固成したまえる祖神。
   国常立尊。
   丑の金神。
   出口直。厳霊の神格に充たされて神諭を伝達し、救世の基を開き、顕幽両界を守る。
   荒魂和魂二魂の活動完全なる霊魂。
   アマテラス。

瑞霊:(国常立尊の妻神)。
   豊雲野尊。
   坤の金神。
   出口王仁三郎。
   愛善信真の大道を啓示し、万民の罪を贖(あがな)い、救世主神として顕幽両界を救いたもう。
   素盞嗚尊。スサノウ。
   奇魂幸魂二魂の活動完全なる霊魂。

伊都能売(いずのめ)霊:
   直霊能く四魂を主宰し、完全なる活動を為さしむる場合。

ちょっと書きすぎかも知れません。スサノウは厳瑞を超越した存在であるかも?

こうやって考えてゆくと、いろいろ疑問が出ます。
厳霊+瑞霊=伊都能売
これは合っているような気がします。
厳霊+瑞霊=伊都能売=独一真神
これは、合っているのでしょうか。違うのでしょうか。今の私もどちらか分かりません。

あと、天の御三体の大神という神々がいらっしゃります。
ここまで入れると関係が分からなくなります。

霊界物語第1巻第22章 国祖御隠退の御因縁

天では天照大御神、日の大神(伊邪那岐尊)、月の大神(伊邪那美尊)、この三体の大神が、地の高天原に御降臨あそばし給ひ、国常立尊の神政および幽政のお手伝ひを遊ばされることになつた。
(中略)
暴悪なる神々は盤古大神と大自在天神とを押し立て、遮二無二におのが要求を貫徹せむとし、つひには天の御三体の大神様の御舎まで汚し奉るといふことになり、国常立尊に退隠の御命令を下し給はむことを要請した。さて天の御三体の大神様は、国常立尊は臣系となつてゐらるるが、元来は大国常立尊は元の祖神であらせたまひ、御三体の大神様といへども、元来は国常立尊の生みたまうた御関係が坐します故、天の大神様も御真情としては、国常立尊を退隠せしむるに忍びずと考へたまうたなれど、ここに時節の已むなきを覚りたまひ、涙を流しつつ勇猛心を振起したまひ、すべての骨肉の情をすて、しばらく八百万の神々の進言を、御採用あらせらるることになつた。そのとき天の大神様は、国祖に対して後日の再起を以心伝心的に言ひ含みたまひて、国常立尊に御退隠をお命じになり、天に御帰還遊ばされた。

このあたりの事を語りすぎると、「教義に関することを外部者が云々するな」とお叱りになる方もおられるので、検討はこのあたりにしたいと思います。

やはり、混乱の中で検討は終わるのですが、今回、検討したのは、木花姫は厳霊なのか瑞霊なのかを知りたいからなのです。

木花姫は霊界物語の最初からずっと出ていて、例えば「野立彦、野立姫、木花姫」のようにセットで出てくることが多いです。この場合では、野立彦=厳霊、野立姫=瑞霊ですので、果たして木花姫の神格は?

また、第2巻総説で「(註)本巻において、国治立命、豊国姫命、国大立命、稚桜姫命、木花姫命となるのは、神界の命によって仮称したものです。」とあって、木花姫以外は名前が変わっているのに、木花姫だけは変わっていないのです。

木花姫の霊界物語での最初の登場。
霊界物語第1巻第31章 九山八海

時しも山の頂上より、鮮麗たとふるに物なき一大光輝が虹のごとく立ち昇つた。その光は上に高く登りゆくほど扇を開きしごとく拡がり、中天において五色の雲をおこし、雲の戸開いて威厳高く美しき天人無数に現はれたまひ、その天人は山上に立てる大八洲彦命の前に降り真澄の珠を与へられた。その天人の頭首は木花姫命であつた。

自分の昔の記録を見ると、2011年に検討したことが、ありました。忘れていました。

霊界物語40巻 仁愛の真相

木花姫の神様も矢張り五六七大神様の一部または全部の御活動を遊ばすのだよ。また天照大御神と顕現遊ばすこともあり、棚機姫と現はれたり、或は木花咲耶姫と現はれたり、観自在天となつたり、観世音菩薩となつたり、或は蚊取別、蚊々虎、カール、丹州等と現はれ給ふ事もあり、素盞嗚尊となる事もあり、神様は申すに及ばず、人間にも獣にも、虫族にも、草木にも変現して万有を済度し給ふのが五六七大神様の御真相だ。要するに五六七大神は大和魂の根源神とも云ふべき神様だ。

当時は次のように書いています。

一般的にこの章は非常に重要であると言われているが、信仰として物語を読んでいない私には、どうしてもなじめなかった。例えば、上記の文章であれば「大和魂の根源神」というところに目がゆき、日本戦前の「大和魂」との比較などをしてしまう。しかし、この文章、木花姫=根源神のことであることを言っているのでは。

今回、いくつか文章を見つけました。

霊界物語 入蒙記 第8章 聖雄と英雄(太字筆者)

神素盞嗚尊の聖霊、万有愛護の為め大八洲彦命と顕現し、更に化生して釈迦如来と成り、印度に降臨し、再び昇天して其聖霊蒙古興安嶺に降り、瑞霊化生の肉体に宿り、地教山に於て仏果を修了し、蜻州出生の肉体を藉りて、高熊山に現はれ、衆生を救ふ。時に年歯将に二十有八歳なり。二十九歳の秋九月八日更に聖地桶伏山に坤金神豊国主命と現はれ、天教山に修して観世音菩薩木花姫命と現じ、五拾弐歳を以て伊都能売御魂(弥勒最勝妙如来)となり、普く衆生済度の為め更に蒙古に降り、活仏として、万有愛護の誓願を成就し、五六七の神世を建設す。
 南無弥勒最勝妙如来謹請再拝

瑞霊弐拾八歳にして成道し、日州霊鷲山に顕現し、三拾歳にして弥仙山に再臨し、三十三相木花咲耶姫と現じ、天教山の秀霊と現じ最勝妙如来として、五拾弐歳円山にて苦集滅道を説き道法礼節を開示す。教章将に三千三百三十三章也。五拾四歳仏縁最も深き蒙古に顕現し、現代仏法の邪曲を正し、真正の仏教を樹立し、普く一切の衆生をして天国浄土に安住せしむ、阿難尊者其他の仏弟子の精霊随従す。将に五六七の祥代完成万民和楽の大本なり。
 惟神霊幸倍坐世
 南無最勝妙如来

また、大本教関係の本にもその関係の話があったので、引用しておきます

『暁の烏』井上留五郎 (太字、改行 筆者)

(二)三代教主の御役
 三代教主は天教山木花姫命のご精霊(木花咲耶姫命)下り給う肉の宮でありまして、開祖様の教統を継承して神界に奉仕すべき聖職であります。
 三代様は、二大真人によりて成れる三五教を享受して、これを永遠に伝うるの基礎を確立され、いわゆる水晶の世のはじまりの大本教主として報身のミロクのお働きをなさるのであります。この水晶の世と云うことにつき聖師様二代様は左の如く訓示さるるのであります。
「『三代の世になれば水晶の世になる』と云う神諭を取り違いしてはならぬ。三代教主が表に立てば直ぐにも水晶の世になると思うのは大間違いである。水晶の世となして、これを三代教主に渡すのが、定められたる神誓神約である。もし然らずして三代の徳を傷つくるようなことがあっては、ミロク御神業に大支障を来たし、神様に申し訳なきこととなるから大本人はこれを心得ていて貰いたい」

 ミロク御神業と木花姫命とのご関係がいかに緊要なるかは霊界物語に詳述されているところでありますが、左にその一節を摘録しておきます。
「……前略……ここに当山(天教山)の神霊たりし木花姫は、神、顕、幽の三界に出没して、三十三相に身を現じ貴賤貧富、老幼男女、禽獣虫魚とも変化し、三界の衆生を救済し、天国を地上に建設するため、天地人、和合の神と現れたまい、智仁勇の三徳を兼備し、国祖国治立命の再出現を待たせ給うたのである。
 木花姫は顕、幽、神における三千世界を守護し給いしその神徳の一時に顕彰したまう時節到来したうたのである。これを神諭には
『三千世界一度に開く梅の花』
と示されたのである。木花とは梅の花の意である。梅の花は花の兄と云い、兄をこのかみと云う。現代人は木の花と云えば、桜の花としか思うていないようである。節分の夜を期して隠れたまいし国祖国治立の大神以下の神々は、再び時節到来し、煎豆の花の咲くという節分の夜に、地獄の釜の蓋を開けて、再びここに神国の長閑な御世を建てさせ給う。故に梅の花は節分をもって花の唇を開くのである。桜の花は一月後れに弥生の空にはじめて花の唇を開くのを見ても、木の花とは桜の花に非ざる事を窺い知らるるのである。
 智仁勇の三徳を兼備して、顕幽神の三界を守らせたまう木花姫の事を、仏者は称して観世音菩薩と云い、最勝妙如来とも云い、また観世音菩薩を、西国三十三箇所に配し祭りたるも、三十三相に顕現したまう神徳の惟神的に表示されしものにして、決して偶然ではないのである。霊山高熊山の所在地たる穴太の里に、聖観世音を祭られたるも、神界における何かの深き因縁でなければならぬと思う。瑞月は幼少の時より、この観世音を信じ、かつ産土の小幡神社を無意識的に信仰したるも、何かの神のお引き合わせであったことと思うのである。惟神霊幸倍坐世」(霊界物語霊主体従第六巻二七四 富士と鳴戸 参照)

 ちなみに、木花姫は天之御中主大神の別名であって、仏典のいわゆる観音のことであります。木花咲耶姫命は木花姫のご分身であって、地上にご顕現し給うた時の御名であります。この時は観世音菩薩と称するのであります。(神の国九〇号以降 伊都能売の題下に詳しくご説示になっております)

木花姫は、霊界物語ではお茶目な姿もよくあらわしますので、私には、天之御中主大神とはイメージが違うような気がします。
こうやって検討しだすと、非常に混乱してきます。
正しい解釈を持った誰かに、それを教わるのがいいかも?

posted by 狭依彦 at 13:29| Comment(0) | 霊界物語第09巻 | 更新情報をチェックする
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