2019年12月01日

天の御柱、国の御柱、撞の御柱

天の御柱の神、国の御柱の神、撞の御柱の神の3柱がおられます。
そのままずばりの箇所があります。

第6巻 第21章 真木柱
伊弉諾大神の又の御名を、天の御柱の神といひ、伊弉冊大神の又の御名を、国の御柱の神といひ、天照大神の又の御名を、撞の御柱の神といふ。

私はこれで、天の御柱=伊弉諾大神、国の御柱=伊弉冊大神、撞の御柱=天照大神と思い込んでいましたが、実は御柱は職名でした。

第6巻 総説
諾冊(なぎなみ)二尊の、淤能碁呂嶋(おのころじま)へ御降臨ありし後は、伊弉諾の大神、八尋殿を造りて、これに造化の三神を祭り玉ひ、同殿同床の制を布き、伊弉冊尊を、国の御柱神として、地上神政の主管者たらしめ玉うたのであります。

物語の第7章では、神名を並べる時に天の御柱=伊弉諾大神、国の御柱=伊弉冊大神、撞の御柱=天照大神が並んでいない箇所が目につきます。

第7巻 第26章 アオウエイ
『我々は、畏れ多くも天教山に現はれ給へる撞御柱大御神、天御柱大御神、木花姫の神教を開かせたまふ黄金山下の三五教の守神、埴安彦神の宣伝使小島別なるぞ。・・・』

第7巻 第40章 三人奇遇
日出神『貴下は熊公と仰せになつたが、初めてお目にかかつた時より、凡人ならじと睨ンでおきましたが、果して我が推量に違はず此国の大酋長なりしか、重ね重ねのお心遣ひ感謝の至りに堪へませぬ。我々は神伊弉諾大神の落胤にして、日の出神と申すもの、世の大立替に際し撞の大神は天の浮橋に立ち、それより天教山に降り玉ひて八百万の国魂の神を生ませ玉ひ、我々をして国魂神を間配らせ玉ふのであります。この後はどうか私の指揮に従つて貰ひたい』
日の出神も高照彦神も此奇遇に神恩の深きを感謝し、直に神籬を立て国治立大神、豊国姫大神、伊弉諾大神、撞の御柱大神を鎮祭し、天津祝詞を奏上し、一同歓びを尽して宴会を閉ぢたりにける。

なお、第40章 三人奇遇は、すごい章です。
伊弉諾大神の子供、国治立大神の子供、神素盞嗚の大神の子供が出てきます。
このあたりは、非常に難しいですね。
国治立大神の子供なんて、あり得るのでしょうか?

さて、DBを「撞の御柱」検索してみると、撞の御柱=天照大神とは言い切れない箇所がいくつかあります。
霊界物語のこのあたりの章は、古事記を下敷きにして書かれているはずですから、天照大神を外すわけにはいかなかったのでしょう。

こうやって、細かいところを詮索してゆくと、霊界物語はところどころに埋め込んである皇国史観を外して読まないと意味がとれないと思いますが、さて、誰がどうやって外すのでしょう。
難しい問題です。




posted by 狭依彦 at 11:48| Comment(0) | 霊界物語第07巻 | 更新情報をチェックする
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